自然経膣分娩を一言で表すならば「お尻からビルヂング」である。
なぜか朝から出産の痛みを子供たちに説いた日があった。「あなたたちを産むのがどれだけ大変だったか」と、とにかく大げさに、身振り手振りであの日の過酷さを話し続けた。なんせお尻からビルヂングなんだから。息子の時には破水でお尻が爆発したかと思ったくらい。普通に生活していたら経験することのない痛みだ。
本来楽しい会話でスタートすべき朝食の時間は、見事にプレママ教室となった。
私の大袈裟な説明によってデリケートな息子は、いち早くその痛みを想像しみるみる顔をこわばらせた。そして向かいに座る妹に「つるちゃん大丈夫?できる?頑張って!」と応援の言葉をかけた。本気で心配していたのだろうか、その口調はとても優しかった。
それまで一言も言葉を発していなかった娘は、食パンをかじりながらたった一言こう言った。
「産むよ」
か、かっこいい…。若干5歳の娘の将来を想像した。分娩台の上で弱音を吐くことなく力強く赤子を生み出すその姿を。娘ならきっと大丈夫。お尻からビルヂングにもきっと耐えられる。
「みてね」のアプリを見ていると、子供たちの生まれて間もない頃の写真を見て不思議な気持ちになる。こんなに小さかったっけ、会話もできない宇宙人みたいな生き物をどうやって育ててたんだっけ、と。まだ10年も経っていないのに、その記憶はおぼろげで、毎日がただただ必死だったことに気づく。ただ、必死で辛かったわけではない。夜中に起こされるのも苦じゃなかった。見ているだけでもかわいくて、かわいくて、かわいくて。変な顔であくびをする、したいと思ったらオナラをする、泣きたくなったら泣く。ただただ人間としてありのままの姿で生きていることを見せてくれた、赤ちゃんだった子供たちがくれた幸せは計り知れない。あの頃に戻りたいとは思わないが、いい時間を過ごしていたなと見るたびに思う。そして、一緒に写る自分の姿に、たった7年の間にこんなにも変わるのかとショックを受けるのである。変化は起こるもの。散々『チーズはどこへ消えた?』を読んで頭に叩き込んだじゃないか。受け入れるんだ。更に大きな変化となる前に。きっとまだこれは、小さな変化なんだ!いずれもっと大きな変化がやってくるぞ!嫌だ!
ところで、ビルヂングとビルディングの違いってなんですか?
お尻からビルヂング

