どうやら私は「キャリア」という言葉にアレルギーがあるようだ。新聞では度々「女性の出産とキャリア」についての記事を目にする。出産によりキャリアを捨てざるを得なかった女性の話や、女性が活躍する現代社会に於ける問題点を投げかけた内容だ。そんな記事を読む時、私の心はざわつきモヤモヤ~として、読むことを拒否したくなる。
人と自分を比べることが愚行だとは百も承知。でも、こと「キャリア」においてはなぜかいつも劣等感を覚える。
新卒で共に働いていた同期たちは出産後も当たり前に仕事を続け、40も過ぎれば今やそれなりのポジションにいたり、これまでの経験を生かしてステップアップしている。キャリアの積み重ねと共に生活水準も上がり、いわゆるセレブのような生活をしている子もいる。では、彼女たちのようにバリキャリになりたかったかと言えば、どこまで考えても答えはNOだ。また、彼女たちのように華々しい業界で働きたいかと聞かれれば、それこそ被せ気味でNOである。生活には困っていないし、むしろ感謝すべき毎日だと心底思っている。
ただ、私には仕事において積み上げてきたもの、胸を張れるものが残念ながらほぼない。大学を出て23歳からそれなりに働いてきた、なんとなーく。昇格したいなんて意欲はゼロで、役職でも与えられようものなら責任の重さに辞めるかもしれない。
20代の頃、一緒に働いていた先輩はそんな向上心のない私にも優しかった。ダメな私を叱ることは一度もなかったように思う。ただ一度だけ、「もっと興味持とうか?」という諦めの境地とも言える言葉をもらったことはあった。当時は気づかなかったが、そうか、先輩は諦めていたから優しかったのか…。それでも、私を見捨てずいつも守ってくれていたとても器の大きな人だった。元気かなぁ、土居さん。先輩の言う通り、私という人間はどうにも仕事に興味を持つことができないのである。頑張ってみようと思う瞬間はある。でもそのやる気はまるでゴムのように、勢いよくピーン!と伸びたと思ったらあっという間に元の位置に戻る、そんな感じだった。その後転職した職場でもそれは同じだった。「作業」はできる。だから一定の評価はもらえるが、私は意欲的に、そしてクリエイティブでいなければいけない「仕事」というものには消極的だ。興味がないから前のめりになれない、その一言に尽きる。
では、そんな根本から考えが腐っている私が全く土俵違いのキャリアにいる友人たちに抱く劣等感とは一体何なのか?その答えはきっと挑戦する努力を怠ったことへの情けなさである。私の劣等感はいつでも自分に自信がなく、挑戦を恐れ避けてきた人間の終着地点なのかもしれない。決して彼女たちの華々しい職業と自分を比較しているのではなく、努力してきた彼女たちと、努力を怠ってきた自分を比較していたのだろうと思う。「あの経験があったからもうどこに行っても怖くない」そんな風に言った同期の言葉を思い出し、新卒からひたすらに営業職としてのキャリアを積み上げてきた夫を見ては羨ましく思うのだ。私にも仕事でそんな経験が欲しかった。ただただ、そんな風に思う。だからといってこれからの仕事において血のにじむような努力をしていこうとは思わない、やっぱり正真正銘の腐った人間なのである。
劣等感とは、多くの人が人生において一度は抱く感情なのかもしれない。常にポジティブに、常に後悔なく生きるというのは、ある意味人間味に欠けてつまらないし、そんな難しいことをし続ければ却って精神が崩壊しそうな気さえする。大事なのは、劣等感を抱かないことではなく、そんな感情になってもそれを解放できる場所を持つことなのではないだろうか。弱い自分をさらけ出しても、包み込んでくれるような場所があることの方が何よりも大切であると思う。私にとってそれは、家族であり友達であり、つまりいくら大金を払っても手に入らないこれまでの人生で大切に積み上げてきたものなのだ。ダメな私の味方をしてくれる彼らの存在によって、私は自分を肯定することができる。そんなことに気づかせてくれた劣等感も、決して悪者ではないのかもしれないな。
劣等感も悪くない

