たまちゃんの「穂波たまえ」が本名だと知ったのは、2024年に行った「さくらももこ展」でのこと。本名は「穂波珠絵」さんと書くそうですが。その「さくらももこ展」で購入した本の中に、たまちゃんとさくらももこさんの小学生当時の作文が載っていて、ちびまるこちゃんのイメージとはかけ離れたさくらももこさんの字の綺麗さや文才には驚かされました。
昨日は久しぶりに、「ちびまるこちゃん」をちゃんと観た日。小学生の私にはきっとわかり得なかったことが昨日の回にはたくさん詰まっていました。
音楽の授業で、一人ずつ人前で歌わされるテスト。まるちゃんを始め、クラスの(山田君以外の)みんなが憂鬱な時間を過ごすわけです。当然みんなやりたくありません。おちゃらけてみんなを笑わせる山田君を見て「こういう子いたよね~」と夫と小学生の頃を懐かしく思い出しました。寡黙な野口さんの番になると、彼女は先生のピアノが始まっても歌おうとしません。そんな野口さんに「野口さん、これはテストですから、歌わないと0点になりますよ」という先生の指摘にも、「0点でもいいから歌わない」と言い張って野口さんは自分の席に戻ります。そのやり方にズルいと文句を言う子がいたり、「度胸がある」と称える子もいたり。私個人の考えとしては、嫌な事を嫌と主張できる勇気があってかっこいいなと思ったわけですが、いち親の立場から考えると難しくなってしまいました。子供に「野口さんかっこいいね」と言ってしまえば、子供は「やりたくないことはやらなくていいんだ」と思ってしまうのではないか、部屋を片付けなさいという声かけが効力を無くすのではないかという考えが頭を過ります。そして社会人になれば、やりたくないことも、避けては通れないこともたくさんあるものです。反面、目上の人に対して自分の意志を主張することは容易ではなく、その意志の強さもこれからは必要だと思うのです。でもそもそも、社会人になれば~という考え自体が昭和なのかな?とも思ってしまって、結局何が正解なのかはわからないままです。
ただ、仮病を使ってテストを回避した藤木君は、明確な教えを説いてくれました。藤木君は翌週一人で歌わなければならないことを長沢君の電話で知り、またこの一週間を重い気持ちで過ごさなければいけなくなりました。みんなは頑張ってテストを終え、清々しい顔で一人緊張の中で歌う藤木君を眺めるのです。嫌な事から逃げれば、もっと辛い状況になり得るということを藤木君の仮病は教えてくれました。とは言っても、何事も経験。藤木君はある意味学んだのかもしれません。私にもあったなぁ、逃げなければよかったと思ったこと。
「ちびまるこちゃん」を親目線で見るようになった時、ハッと気づいたことがあります。それは、花輪君のご両親は良い教育をしているんだなということ。花輪君が実在していたのか、またあれほどまでのおぼっちゃまだったのかはわかりませんが、仮に架空の人物だとしても、お付きがいるような正真正銘のおぼっちゃまである花輪君が公立の小学校にいるということに、私は親として大きな学びがあると感じます。
裕福で人並外れた生活をしている花輪君が、同じように裕福な環境にいる子供とだけではなく、様々な家庭環境にいるであろう子供たちと学び生活していくことは花輪君の幼少期において意味のあることだと思うのです。子供は純粋で柔軟な生き物です。いろんなお友達がいて、そこから学ぶこともあるのでは?自分の幼少期を思い出し、そんな風に思っています。
まさか、ちびまるこちゃんからこんなことを考える日が来るとは。
改めて
私は暇だと
気づいたよ
きなこ心の俳句
ちびまるこちゃんに学ぶ

